[No.88]
こんばんは。
東日本震災当時、眼鏡も流されお世話になった人の顔を誰一人覚えていないノンシュガーです。
東日本大震災を思い返した
守護霊のような存在があるとして
人それぞれにそんな存在があったかもしれないけど
その力すら及ばない程の災害だったんだ、と思いました。
この日は東日本大震災から8年、2019年の3.11。
その前にも後にもたくさんの人が命を落としてしまうほどの
災害がたくさんのあったけど、東日本大震災に関しては
より当事者なので、心に残ってる部分が多いです。
確か前日か前々日にも地震は起こっていて
津波注意報は出ていたけどまさかその後に
あんなに大きな災害が起こるとは思っていませんでした。
東日本大震災の当日
気仙沼で暮らしていたその当日の朝は
徹夜の仕事を終えて普段なら2階で
誰も入ってこないようにして眠りについたのですが
なんだか妙に気持ちが上がってしまって
石巻まで家族で買い物に出ることに。
私と妻と、1歳6ヶ月と0歳3ヶ月の娘たちで。
その帰りに、地震は起こった。
自動車専用道路を通っていたんですが
妻に運転を任せて後ろで寝ていても
すごい揺れに気付いて目を覚ましました。
その後妻の実家が近かったので様子を見に
北上川の支流沿いの道を、海に向かって。
←バカ
途中で、道は寸断されていました。
第一波によって。それからは警察に導かれるまま
選択肢はなくなっていき、山へ山へ。
その時点ではね、まだ帰れるだろうと
思っていたんです。朝までには。
夜になって、雪が降ってきて
なんだかとても不安になって。
そしたら、子供が泣いてるのに気付いた方が
近所の宿泊施設で、子供がいる家族を優先的に
泊めてもらえるという情報を教えてくれたんです。
それからは「追分温泉」でお世話になること一週間以上。
備蓄の食料を出してくださったり、寝る場所を用意して
くださったりと、幼い子供もいたので本当にありがたかったです。
燃料も調達できなくてどうしようか
と思っていたところに当時はまだ元気だった親父が
インターネットの情報を見つけて、迎えに来てくれたのでした。
守護霊がいるなら感謝したいし、幸運だった。
多くの選択ミスがあったけど
自分は本当幸運だったなーと思います。
だからあの日、生きたくても
生きられなかった方たちの分まで
今日を大切にして生きていきたい。
そんなことを思ったのでした。
というわけで、今日も全力で頑張りたい所存です^^*
コメント